わたしは約1年前に息子を「緊急帝王切開」で出産しました。
自然分娩を望んでいて、いざ出産となったにも関わらず帝王切開になってしまった、ということに当時は悩んで、自分を責めました。
実はわたし自身も帝王切開で生まれていて、帝王切開自体にネガティブなイメージを持っていなかったにもかかわらずです。
陣痛で体力を消耗したあとに手術をする、ということは想像以上に体にも心にもダメージを負うことでした。
でも産後すぐに育児が始まってしまい、自分が普段とは違う状態ということにすら気付けずにいたのです。
この記事は自分を責めるに至った出産前の話から、産後どう受け入れていったのかまでのお話です。
目次
”自然な出産”に強い憧れがあった
元々古風な考え方をするタイプのわたし。
母や祖母が帝王切開だったことがあって「自然分娩のチャンスがあるなら、自分のお腹を痛めて産まなくては」と思っていました。
妊娠中に、日本最高齢の現役助産師・坂本フジエさんの『大丈夫やで』を読んだことも大きかったです。
坂本フジエさん著の『大丈夫やで』
“赤ちゃんは自分の生まれてくるタイミングを分かっている”という内容で、赤ちゃんに負担にならない形で、赤ちゃんのペースで自然に出産したい、と自然分娩への憧れが強くなりました。
初めての出産への不安が募っていった

いざ予定日が近づくと「陣痛ってどのくらい痛いのかな」「無事に出産できるかな」と不安が大きくなりました。
不安な気持ちは赤ちゃんに伝わってしまう、会えることを楽しみにする方に頭を切り替えなくちゃ・・・と少し気を楽にして、気づけばまた不安にの繰り返し。
そんな中、前駆陣痛を本陣痛と勘違いして、旦那さんに急遽仕事を休ませてしまったことが。
旦那さんは大丈夫と言ってくれたものの、申し訳なさでいっぱい。
「妊婦なのに本陣痛かどうかも分からないのか」と、自分の判断力のなさに落ち込みました。
そしてもう旦那さんにも迷惑はかけられない、早く出産しなければと焦っていました。
いざ自然分娩、から緊急帝王切開になったとき
前駆陣痛があった翌日に本陣痛が始まり、夜中にいよいよ産院へ。
最初は順調にすすんでいたのですが、少しずつ陣痛が弱まっていき、明け方頃にはほとんどおさまってしまいました。
先生の診察の結果「回旋異常」ということで、緊急帝王切開をすることに。
朝の8時頃に診断を受け、その2時間後の10時には手術。
心の準備をする時間はありませんでした。
自然分娩へ待っても良いけれど、いま元気な赤ちゃんも待っている間に元気がなくなってしまうかもと言われれば、手術をしない選択肢はありません。
手術前の、最悪の場合こうなりますという説明に気が遠くなりつつも、すぐに腹をくくりました。
自分のせいで“正しく”産めなかったと責めた
手術は無事に済み、元気な男の子を出産!
術後すぐはハイのような感じになっていて、友人にラインやTwitterで出産報告をしたり、息子を抱きしめて幸せをかみしめていました。
大変だったのはそのあと。
小さな産院なので、他の妊婦さんが陣痛に耐えて頑張っている声がよく聞こえました。
そのため自分以外の妊婦さんはみんな自然分娩だということもわかり、自分だけ落ちこぼれたような劣等感に襲われたのです。
・微弱陣痛になって自分は他の人より楽をした、頑張らなかった
・もっと頑張っていれば、自然分娩できていたかも
・早く産みたいという焦りが赤ちゃんに伝わって、生まれるタイミングじゃなかったのに陣痛をはじめさせてしまったから帝王切開になったのでは
自分のせいで”正しく”産めなかったと自分を責めました。
予定していたカンガルーケアなども出来ず、授乳もうまくいかず“最初の3日間の過ごし方が大切”と聞いていたのに、何もできないまま過ぎてしまったことも責める要因になりました。
助産師さんに何か言われる度、実際は責められてはいないはずなのに酷く落ち込んで、情けなくて泣いたことも。
自分がナーバスになっていることにようやく気付いたのは、授乳も少しずつうまくいき始めた、産後4日目の時でした。
どうやって受け入れていったのか

自分の気持ちを細かく書きだした
授乳やおむつ替えの合間に少しずつ、自分の気持ちをノートに書きだしてみました。
出産の流れ、その時思ったこと、産後自分の体の状況、助産師さんや家族に言われた言葉など、頭の中でぐるぐるしていたことを思いつくまま。
文字にすることで客観的に自分の状況を見ることができ、出産自体や産後のお世話も「自分って相当頑張っていたんじゃないか」と責める気持ちを抑えることができました。
家族に正直な気持ちを話した
ノートでいったん気持ちを落ち着けたあと、出産を一番傍で見守ってくれていた旦那さんに、突然の手術についていけてなかった気持ちをラインで話しました。
「そういう風に思ってたんだね」「間違いなく頑張っていたよ」と受け止めてもらえたことで、とてもホッとすることができました。
わたしの場合は帝王切開になったことを、家族が誰も責めたり、他の出産と比べたりしなかったりしないでいてくれたことも大きかったのかなと思います。
助産師さんからの言葉
産後、助産師さんから「帝王切開は唯一自分のためにしない手術」だと言われました。
手術は本来、自分の病気の原因を取り除くためのものですが、帝王切開は生まれてくる子どものために行うもの。
「自分以外の誰かのためにお腹を切る選択をしたぽっけさんはすごい」と言ってもらえて、とても救われました。
他にも「陣痛から手術まで全部やったんだもの、お疲れ様でした」と言ってもらえたり、手術に向けて冷静だったと言われ「本当は泣きそうでした」と話したら「泣いていいんですよ~!!」と慰めてもらったり。
特に授乳は最初はうまくできず、ビシッと指導してくれた助産師さんたちでしたが、折りにふれ労いの言葉もかけてもらいました。
おかげでちょっとずつ、自分は頑張ってたんだと受け入れていけるようになりました。
帝王切開でうまれた“わたし”
帝王切開になったことを自分のせいだと責めはしたものの、息子に対して「帝王切開でかわいそう」とは思いませんでした。
それはわたし自身が帝王切開で生まれた子どもだから。
頭が大きすぎてという理由の「予定帝王切開」だったそうです。
母は帝王切開と自然分娩の違いなどは説明せず、お風呂に入ったときに自分の傷を見せながら「帝王切開で産んだ時にできたんだよ~」とサラッと話してくれました。
その時わたしは
と何だか嬉しかったことを覚えています。
出産方法がどうだったかよりも、お母さんが自分のために頑張ってくれたという事実の方が大切でした。
帝王切開だと性格や発達に問題が出てくる、という話もあるようですが、それも特になかったです。
母によると赤ちゃんの頃のわたしは、食欲もあるし、寝つきも比較的良い方だったようですし、自分の記憶でも「帝王切開だから困った」ということはありません。
我ながらすくすくと順調に育ちましたよ!
おわりに
帝王切開も自然分娩も、無痛分娩もそのほかの出産方法も、どれもママが赤ちゃんのために頑張ったことに変わりありません。
どれが出産方法として正しいとか間違ってるとかは本来ないもののはずです。
動揺もある中で頑張って出産して、母子ともに健康で無事に過ごせているのは奇跡的なこと。
どうか自分を労ってあげてください。